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東京地方裁判所 昭和39年(ワ)12661号 判決 1966年5月26日

原告

小林きの

ほか五名

右六名訴訟代理人

坂根徳博

椎原国隆

被告

田中生次

右訴訟代理人

小川栄吉

主文

1、被告は原告きのに対し金二二万円およびうち金二〇万円に対する、原告清子に対し金三九四万円およびうち金三六五万円に対する、その余の原告らに対してそれぞれ金一八五万円およびうち金一七一万円に対する、各昭和三八年一一月一日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2、原告らのその余の請求を棄却する。

3、訴訟費用はこれを一〇分し、その七を被告の、その余を原告らの負担とする。

4、この判決は第一項にかぎり仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、原告ら訴訟代理人は

「被告は原告きのに対し金七八万円およびうち金七〇万円に対する、

原告清子に対し金五一二万円およびうち金四五八万円に対する、

原告清美、同勝に対し各金二七七万円およびうち金二四八万円に対する、

原告誠、同敏に対し各金三〇〇万円およびうち金二六八万円に対する

各昭和三八年一一月一日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。」との判決ならびに仮執行の宣言を求めた。

二、被告訴訟代理人は「原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする」との判決を求めた。

第二、原告らの請求原因

一、(事故の発生とこれによる訴外義貞の死亡)

昭和三八年九月二八日午前一時一五分ころ、埼玉県越谷市大字蒲生五〇〇番地先道路において、訴外良原勝庸の運転するダンプカー(練一そ二一八〇番、以下被告車という)と訴外小林義貞の運転する乗用車(足五す九二三七番、以下原告車という)とが接触し、義貞は全身打撲の傷を受け、同日午前一時四〇分死亡した。

二、(被告の責任)

当時、訴外良原は被告の従業員であつて、被告は同人をして被告車を運転させていたものであり、被告は自動車損害賠償保障法第三条にいうところの自己のために被告車を運行の用に供していた者である。

三、損害

義貞の得べかりし利益の喪失

訴外義貞は事故当時四三才の男子であつて、第一〇回生命表によれば平均余命は二八年であり事故にあわなければ平素健康であつたからあと二八年間生存し、事故後の昭和三八年一一月一日からまだ五九才の昭和五四年一〇月三一日までの一六年間、移動飲食店業と不動産取引業に従事し、一一月一日に始り翌年一〇月三一日に終る毎年度従来の実績と同程度の収入(これについては税務官署に対し所得の申告をしたことはなかつたけれども)すなわち一ケ月平均一五万円、年間にして一八〇万円の収入があり、その収入を得るための生活費としては一ケ月平均四万円、年間にして四八万円の支出を要するから、右収入から右生活費を控除した年間一三二万円の純利益をあげられる筈であつた。ところで義貞は前記移動飲食店業を営むにつき原告きのから東京都台東区金杉下町一一一番の一の宅地と同所所在、家屋番号同町四八二番の建物を、無償で借受けこれを使用していたが、同人の死亡後の昭和三八年一一月一日原告きのはこれを訴外松本たみに対し一一月一日に始り翌年一〇月三一日に終る毎年度、毎月四五、〇〇〇円年間にして五四万円で賃貸することになつた。

よつて前記純利益からさらに右不動産の賃料相当額を控除すれば、義貞としては事故による死亡のため少くとも年間七八万円の得べかりし収入を失つた。右収入が当該年度の末日に入手されるものとしその一六年間の総計の昭和三八年一〇月三一日現在の一時払額を求めるため、年毎にホフマン式計算方法に従つて民法所定の年五分の割合による中間利息を控除し、これを合算すると八九九万円(一万円未満切捨)になる。

これが同人の得べかりし利益の喪失の一時払額である。<以下、省略>

理由

一、請求原因第一項の事実(事故の発生とこれによる義貞の死亡)および同第二項の事実(被告が被告車を自己のために運行の用に供する者であること)は当事者間に争いがない。

二、よつて被告主張の免責事由の存否について判断する。

<証拠>によれば事故現場は日光街道と呼ばれる歩車道の区別のない、中央にセンターラインが標示されている有効巾員一五米、うち中央部は巾員九米にわたつてアスフアルト舗装がしてある。平坦で直線の見とおしの良い、しかし夜間照明のない南北に走る道路であり、路面は当時乾いていたこと、事故直前訴外良原勝庸は同所の最高制限速度である時速四五粁をこえた時速約五〇粁の速度で被告車を運転して北進しており、訴外小林義貞は約六〇粁の速度で原告車を運転して南進しており、すれ違いの瞬間冒頭認定の事故が発生したこと、事故後の状況としては原告車は道路センターライン東側にその先端を西に向けその前部は道路中央から五〇糎、後部は道路東端から二、五米のところに停止し、右側面が著しく破壊されていたことそして原告車の北方付近に原告車の破片や被告車のスプリング等が散乱していたこと、他方被告車は原告車の北方約七〇米の道路東端人家の中に後部ボデイを突込んで前方を道路に向け停止し右前輪タイヤおよびフェンダーの部分に接触痕があり、また後車輪および後車軸を脱落し、当該部分は道路西側(反対側)人家の前に折損して転んでいたこと、原告車停止位置に近く接触の衝撃によりユーボルトが破損して脱落した被告車の後輪プロペラシヤフトの前端のスプライン軸先端が路面に撃突したため生じたと推測されるおたまじやくし様の巾五糎長さ一四糎の痕が道路の中央から東側七〇糎のところについており、さらにその点より北約一六米のところに被告車のフレーム等によつてつけられたと考えられる巾約一〇糎長さ約一米一一糎と巾約七糎長さ約七〇糎の二条の痕跡が道路の西側部分にあり、その点から約四米の点、さらに三米、さらに六米の点にそれぞれ被告車によつてつけられたと考えられる条痕がほぼ一直線に並んで存することが認められる。そして以上の各証拠および認定の事故後の状況から判断すると、被告車は北進中若干センターラインをこえ、ついで稍左にハンドルを切つているときにその右前輪部分へ原告車右側面が衝突し、さらに原告車の前部が被告車の右後車輪部分と接触したと認めることができる。

前出<証拠>のうち前記認定に反する部分は前提のその他の証拠と対比して措信しない。

右事実によれば、冒頭認定の原告車と被告車との接触事故発生地点は道路中央より一ないし二米東側の所であり、被告車の運転手である訴外良原勝庸がセンターラインを越えて走行したことにより接触が生じたと認められるのであつて、同人に過失がなかつたとはいい難く、その反面義貞に過失があつたと認めるには十分でない。

そうすると、その余の点について判断するまでもなく、被告は免責されることなく自動車損害賠償保障法第三条によつて、被告車の運行によつて生じた後記損害を賠償しなければならない。

三、損害

<証拠>によると、訴外義貞は昭和二九年郷里である茨城県岩井町の役場職員を辞し東京へ出、中華料理の見習を三カ月ばかりやつたのち中華料理店を開いたが、約一年して人を使つて屋台でんのおでん販売を始め昭和三二、三年ころ中華料理の方はやめ、屋台を一〇台ほど使用しておでんの販売専門になつたが、次第に成績を上げ死亡当時は、従業員約二七名を使用し、うち四、五人が仕込みを、その他の者は売子をしており、屋台は二七、八台、屋台の一日の売上げは一日一台につき平均して、三、〇〇〇円あり、うち二割は売子に支払つていたこと、屋台は一カ月に二回くらい休むのが普通であること、義貞の隣人で相談相手でもあつた訴外根岸博は売上のうち二割が純益になつていたと思つていること、(売上げを一日一台三、〇〇〇円とし一日に稼働する屋台台数を控え目に二〇台、月に二八日として総売上を計算してみると月額一六八万円となる。仮に純利一割としても一六、八万円となる。義貞は生前月に三〇万円は残るといつていた。)義貞は右事業を始めるについて訴外鈴木敏夫から開店費用として一七五万円を借りて東京都台東区金杉下町に原告小林きの名義で宅地建物を買つて中華料理店としおでんやを始めてからは、同所をおでんの仕込みと、売子のねとまりに使用するに至つたがこの借金はおでんやをはじめてからほぼ一年で完済しえたこと、また義貞は昭三七年に前記根岸博に約一五〇万円を無利子で貸付けたり、同年五月に新宿区柏木一丁目一八一番地の七五に延坪四〇坪の二階建のアパートを四二〇万円で買受けたり、他に死亡の一年ほど前から不動産屋に資金を出していたり、昭和三八年二月および六月にトヨペツトクラウン(一台約一〇〇万円)を月賦で各一台購入したりしたこと、さらに普通預金は税金を脱れるために小口政博の名義でしていたが、その残高の推移をみるに昭和三七年四月初から昭和三八年一月初旬にかけて九カ月間で残高は徐々に約一八〇万円月平均二〇万円の上昇を、さらに同年二月中旬から六月中旬の約四ケ月間は僅かの上昇であるが、同年六月下旬からは九月下旬まで、月二〇万円余の上昇をつづけ、死亡時の普通預金残高は一四一万余円で、他に定期預金が一三〇万余円あつたこと、おでん屋営業は、義貞の死亡後は訴外松本たみがその建物、屋台の道具を賃借してひきついでいるが、その賃料ははじめ月四万円、のちに月四万五〇〇〇円であり、新宿のアパートの賃料収入は月平均五万円になること、また義貞がおでん屋でうまく収益をあげえたのは、売子をうまく使く技術を持つていたことによるものであつたことがそれぞれ認められる。

右事実をいろいろと勘案すると、商人がつけるべき日記帳等によつて、その収入及びそれに必要な経費償却費その他の支出を計算して正確な純益を求める資料は本訴訟で提出がなく、しかも税務署に対する所得の申告が一切なされていないことは当事者間に争いなく、この面からの純益の検討もできないのではあるが、義貞は少くとも死亡当時、おでん営業でもつて月収一五万円はあつたものと認めるを相当とする。(前掲証拠によればトヨペツトクラウン一台は、義貞がおでん営業で屋台の見まわりに使用していたもので、それらの費用も控除した純益として。)

ところで訴外義貞が事故当時四三才の男子であつたことは当事者間に争いがなく、第一〇回生命表上、同年の男子の平均余命は二八、二三年であるから、あと約二八年間生存し、事故後の昭和三八年一一月一日からまだ五九才である昭和五四年一〇月三一日までの一六年間、右に認定したおでん販売業に従事し、前認定の事故当時の月平均一五万円の収入をあげることができたであろうと考えられる。

他方、その収入をあげるために必要な生活費の支出を免れたのであるから、得べかりし利益の喪失額の計算にあたり、これを控除すべきであり、その額は原告が自認する月額四万円を超えると認める証拠はないのであるから月額四万円として計算し、さらに原告ら(原告きのを除く)は原告きのがその主張の建物を訴外松本たみに年額五四万円で貸して賃料を取得しているので、この金額も控除されることを自認するのでこれを控除すると、計算上差引の純益は年額七八万円となる。これを一一月一日に始り翌年一〇月三一日に終る毎年度、その末日に入手されるものとしてその一六年間の総計の昭和三八年一〇月三一日現在の一時払額を求めるため、年毎にホフマン式計算方法に従つて民法所定の年五分の割合による中間利息を控除し、これを合算すると八九九万円になる。(一万円未満切捨)従つて、右が義貞の死亡によつて喪失した得べかりし利益の一時払額であると認められる。

(二) 慰藉料

<証拠>によれば、事故当時四三才であつた義貞はおでん屋営業のために東京に居住していたが、郷里の茨城県岩井町には原告きの(当時六七才、第一〇回生命表上平均余命一二、七九年)と妻の原告清子(当時四一才、第一〇回生命表上平均余命三三、四六年)といずれも子である原告清美(当時一三才)原告勝(当時一〇才)原告誠(当時五才)原告敏(当時五才)の家族があり、家庭は円満で安定し、義貞はちよく、ちよくと帰つて、生活費等を家族に渡していたこと、原告きのは夫とは昭和一二年に死別し、義貞が死亡した後は子供としては娘の訴外鈴木とみ子だけになつたこと、原告清子は十数年つれそつた夫を失い再婚の意思はなく、子供達を立派に成人させるのが唯一の楽しみとなつていること、他方、原告らの家は旧地主で田畑は相当農地買収によつて失つたが、山林もあり、米野菜等は自給できる農家であり、義貞の死亡後も前認定のようにアパート、建物の賃料として月額九五、〇〇〇円の収入がえられることが認められる。

以上の事実および前記認定の事故の態様その他諸般の事情を考慮すると本件事故により、訴外義貞および原告らが多大の精神的打撃を受けたことが認められ、その慰藉料として訴外義貞につき四〇万円、原告きのは二〇万円、原告清子は四〇万円その他の原告らは各二五万円の支払を受けるのが相当と認められる。

(三) 相 続

以上(一)、(二)で認定したように義貞は(一)の八九九万円と(二)の四〇万円計九三九万円を取得したところ前認定の訴外義貞と原告らの家族関係からして、義貞の死亡により、原告清子が妻として三分の一の三一三万円、原告清美、同勝、同誠、同敏は各六分の一の一五六万円(一万円未満切捨)宛相続したものと認められる。

ところで原告らが責任保険金五〇万円を受取り、これを原告きのを除くその余の原告らが各自一〇万円宛、相続した得べかりし利益の喪失分に対する損害賠償請求権に充当したことは原告らの自認するところであるので、原告らが相続した損害損害請求権の残額は原告清子が三〇三万円、原告清美、同勝、同誠、同敏は各一四六万円である。

(四) 葬式費用

<証拠>によれば、原告清子は昭和三八年一〇月中に義貞の葬式を行い、葬式の饅頭代酒肴料祭壇費寺院費用として計二二万円(一万円未満切捨)を支出し、同額の損害を受けたことが認められる。

(五)以上を合計すると原告きのは(二)の二〇万円、原告清子は(二)ないし(四)の計三六五万円その余の各原告らはそれぞれ(二)、(三)の計一七一万円となる。

(六) 弁護士費用

<証拠>によると、原告らの代理人訴外鈴木敏夫が弁護士訴外坂根徳博、同椎原国隆に本件訴訟委任をしたこと、そして原告ら主張のような報酬支払の約束をしたことが認められる。

ところで交通事故による被害者側が加害者に対し損害賠償の任意履行を期待できないときは、通常弁護士に訴訟委任してその権利実現をはかるほかないのであるから、これに要する費用も事故と相当因果関係に立つ範囲内では、これを加害者の負担すべき損害と解すべきである。そして右損害額の範囲は、認容すべき損害額、事実の難易等を斟酌して決定すべきであり、これを本件についてみれば、手数料、謝金をあわせて認容額の約八分を相当とするから、原告きのは二万円、原告清子については二九万円、その余の原告らについては各一四万円を相当と認める。

四、そうすると原告らの請求は被告に対し原告きのにおいて(五)(六)の計二二万円およびうち(五)の二〇万円に対する原告清子において(五)(六)の計三九四万円およびうち(五)の三六五万円に対するその余の原告らにおいてそれぞれ(五)、(六)の計一八五万円およびうち(五)の一七一万円に対する各事故発生の日ののちである、昭和三八年一一月一日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において、それぞれ理由があるのでこれを認容し、その余は理由がないのでこれを棄却する。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九二条第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。(吉岡進 岩井康倶(転補のため署名押印できない)浅田潤一)

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